『産経ニュース』のインタビュー 「転機 話しましょう」

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「これが最後」の危機感を持て 暗号を解く高揚感…漫画家魂に火

ホームズがきっかけ

 
 「ミステリーをお願いできませんか」

 漫画家生活8年目に入った平成5年、「週刊少年サンデー」編集部から新しい企画の依頼があった。

 ドキリとした。「大変じゃないか、と。トリックを考えるのも設定も」

 昭和61年、同誌掲載の「ちょっとまってて」でデビュー。平成5年に「YAIBA(やいば)」で小学館漫画賞(児童部門)を受賞した期待の漫画家だった。ライバル誌では、高校生探偵が活躍する「金田一少年の事件簿」が人気を博し、少年漫画にミステリーのジャンルが確立されつつあった時期だ。

 構想を練っていると、子供のころ好きだった推理小説を思い出した。イギリスのコナン・ドイル「シャーロック・ホームズ」、フランスのモーリス・ルブラン「アルセーヌ・ルパン」、そして日本の江戸川乱歩「少年探偵団」…。小学校の図書館で借りて、ドキドキしながら全巻を夢中になって読んだ。

 特に、ドイルの短編「踊る人形」では、名探偵ホームズが黒い人形の暗号を解く姿にしびれた。

 「子供の落書きみたいな人形の絵を見たホームズは、これはアルファベットの『N』だと暗号を解く。これがすごくかっこいい。もし、この本を読んでいなかったら、たぶんコナンは描いていなかった」

”後だし”と揶揄された名探偵コナンも今や本家を越えています(笑)

独自の「目」で勝負

 自身の小学校入学前後、映画館で長編アニメ「長靴をはいた猫」を見て、アニメーターになりたいと思ったという。漫画家を本気で目指したのは大学時代だ。

 アニメ制作のために入った大学の漫画研究会で、漫画家の先輩、阿部ゆたかさんから「お前は、絵がうまいな。漫画家になってみないか」と誘われた。

 ところが、実家で父親の大反対にあう。

 「俺はお前よりずっと絵がうまい友達を知っている。カニを描いたら今にも動き出しそうだ。しかし、そいつは貧乏で食うにも困っている。お前が絵で生きていけるわけがない!」

 しかし、自信はあった。大学在学中にあみだした独自の画法だ。それまでの絵は、目が「タッチ」のあだち充さんで、つんとした鼻は「あしたのジョー」のちばてつやさん、口角が上がった口は「ルパン三世」のモンキーパンチさん-という有名漫画家の作品を生かした合体技。しかし、自身の絵に特徴をつけたいと、試行錯誤を続ける。発見したのが、交通標識のような独特の印象を持つ目の描き方だ。

 「これはいける!と思った。こんな描き方をする人は、他にいない。描きやすいし、一発で俺の絵と分かる」と直感した。

漫画やアニメの社会的な認知度が上がった今でも漫画家になるなんてのは親はなかなか認めてくれないものですが、当時はもっとハードルが高かったのではと思います。

漫画家=単純な絵の上手さというわけでもないですが、普通の大人から見れば仕方なし。

青山先生はなかなか自信家のようです。

とことん好きなこと

 一つのストーリーのために、トリックやヒント、犯人の動機、舞台設定などについて12時間以上も細かく打ち合わせするのは、心底、作品とミステリーを愛しているからだろう。古今東西のミステリー小説、ドラマ、映画、実在の生活や友人、知人の職業、すべてを参考資料として活用する。

 「話を考えるのも好きだし、絵を描くのも好き。好きなことを仕事にするのは本当に楽しい」

 一方で、「もし連載開始がバブルの時代なら18年も続かなかった」とも思う。その時代は次々と新しいものが求められた。バブル崩壊後の連載だからこそ「せっかく誕生した面白いものを長く続けないとやばいと思った」という。

 危機感は意図的に作り出す。毎年ゴールデンウイークに合わせて公開される映画では、常に「これが最後」と思い、全力投球する。

 人気に甘えず、常に緊張感を持って描き続けたことが、成功を引き寄せた。「いつかアニメの映画監督もしたい」。創作意欲はもちろん、旺盛なチャレンジ精神はまだまだ衰えない。

今でこそ十数年続く長編漫画も珍しくないのかもしれませんが、それは現時点から振り返ってみた結果ですからね。

ドラゴンボールも長い長いと言われましたが結局42巻完結だし、人気漫画としては終了が早く寂しいくらい。

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